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今だからこそスーパーファミコンの超美麗CGを振り返る

今だからこそスーパーファミコンの超美麗CGを振り返る

映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』の評価が揺れている。その賛否は置いておいて、この映画は前編が3DのCGによって構成されている。

今では、CGはゲームだけのものではない。映画や音楽PVといったエンターテインメントだけのものでもない。我々の日常生活にCGは欠かせないものになっている。今回はCGの歴史を振り返っていこうと思う。今回は「スーパーファミコン」編だ。

CGの歴史はまだ50年とちょっと

CGは「コンピューター・グラフィックス」の略である。1963年、サザーランドが博士課程在学中にMITリンカーン研究所において、スケッチパッドというものを開発したのが一番最初だとされている。そう、まだ半世紀とちょっとしか経っていないのである。

海外ではユタ大学での研究をもとに3DCGの分野がフライトシュミレータのゲーム、映画、アニメなどで広がっていくが、日本ではほんの30年ぐらい前までは、それはドット絵と呼ばれる2Dのグラフィックスのことを指していた。

CGが日本で一般的となったのは、NECが開発したPC9801シリーズだ。1985年にPC9801VMが発売され、640×400の解像度の中に4096色中16色のインデックスカラーを表示することができた。

1987年にマッキントッシュII、1983年に任天堂のファミリーコンピュータ(通称:ファミコン)が発売されたことも大きな契機となった。ファミコンは256ドット×240ラインで52~56色を表示できた。

当時ゲームの世界は「アーケード」と呼ばれるゲームセンターで楽しむ画像が綺麗でハイスペックなものと、家で遊ぶファミコン、そしてマニアが遊ぶとされていたPCゲームの3つに大別されていた。スーパーファミコンやPlayStationの頃にはそれぞれの間で「移植」という形で進んだが、最初はあまりに性能差が違いすぎて「隔離された」世界であった。

そしてその中で、最も一般消費者の間で人気がでたのがファミコンであった。しかし、ファミコンは最も制約が多い機種でもあった。先に書いたように256ドットに240ライン、しかもそれは机上のもので実際はそれ以下しか難しかった。

だが、日本人はそういう制限のあるほうが燃えたのかもしれない。オーパーツのような明らかにおかしい職人技となる藝術作品のような美麗なグラフィックのゲームが登場するようになったのである。

1990年にスーパーファミコンが発売されて以降、その傾向は拍車がかかった。256×224と512×448(インターレース) の解像度、32,768色(15bpp)から選択可能な16色のカラーパレットと、それらのカラーを適用可能な16色スプライト、一画面あたり最大128個のスプライト同時表示が可能になったことでスペックが飛躍的に向上したからだ。

さて、今回はそんなスーパーファミコン時代に明らかにグラフィックがおかしい作品群を紹介しよう。

スーパードンキーコング2(1995)

ドット絵派からは「違う」と言われてしまうかもしれないが、プリレンダリングの3Dモデルを作ってから2Dのアニメーションに落とし込む」という技術で作った作品。色数も非常に多く見えるがこれは「複数の色を交互に高速で点滅をさせる」ことで同時に使っている色数を多く「見せている」。CG開発ツールは映画『ターミネーター2』などに使われたものと同じだという。

あまりにCGが綺麗すぎてびっくりした作品。そうした作品はRPGならわかるのだが、アクションゲームである。CGの処理にメモリをとられてレスポンスが悪くなることもなく、非常に滑らかに動き難易度も丁度良かった。

ファイナルファンタジー6(1994)

当時スクウェアの『ファイナルファンタジー』シリーズは、エニックスのドラゴンクエストシリーズと並ぶ2大RPGであった(女神転生を加えて3大RPGと呼ぶ時期もあった)。

ファイナルファンタジーシリーズは、SFCまでは天野喜孝が描くパッケージデザインの美麗さと、ゲーム内のCGの綺麗さが飛び抜けていた。当時、ゲーム雑誌で新しいゲーム画面が公開されるだけで、当時の小中学生は興奮したものだ(筆者もその1人だ)。

ファイナルファンタジー6は1994年に発売され、2DCGで作られた同シリーズ最後となる作品でその技術もとんでもなかった。特に敵キャラクターの中二心を刺激するような美麗でありながら荘厳、そしていろいろな要素を詰め合わせた感じは最高という言葉でしか表現ができない。

そうしたグラフィックを実現するために、カセットは「24メガバイト」と当時のゲームにしては大容量であった。現在もiPhoneなどに移植されているが肝心のグラフィックが変更になっており、な……なんかこれじゃない感が半端ないので一度SFCで体験してほしいものだ。

タクティクスオウガ(1995)

ここまで筆者を待たせたゲームもない、しかし、その期待を軽々超えてきたのがタクティクスオウガである。1995年にクエストという会社から発売した作品で、オウガバトルシリーズの2作目となる。

1作目『伝説のオウガバトル(1993)』がマニアの間で広まった作品で、大いに期待が高まったのだが、発売までが長く、最初の頃ゲーム雑誌に載っていたものとはグラフィックがかなり変わったと記憶している。

ゲームに疎いものはアニメと同じく「目が異常に大きな女の子」を想像するだろうが、本作は宗教対立や民族問題がベースとなっている。吉田明彦によってまるで油絵のようなタッチで描かれたキャラクター、皆川裕史 によるシステムCGデザインと、松野泰己が作り上げた重厚な世界観が中世ヨーロッパの群像劇を見ているように進んでいく。「駆り立てるのは野心と欲望、横たわるのは犬と豚」など章ごとのひねりの利いたタイトルや暗いシナリオなども最高である。

後に松野以下製作チームのほとんどはスクウェア(現スクウェア・エニックス)へ入社。それぞれがファイナルファンタジーや現在を代表するゲーム群を制作することとなる。当時、アートディンクによって移植が行われたほか、2010年にPSPでリメイク作品がスクウェア・エニックスにより発売された。

ロマンシングサガ3(1995)

ファイナルファンタジーと同じくスクウェアの主力RPGが聖剣伝説とサガシリーズであった。元々はゲームボーイで白黒によってできたRPG「魔界塔士Sa・Ga」がその源流だ。

スーパーファミコンに入り「ロマンシングサガ」としてリデザインされた。「フリーシナリオ」システムが売りになっており、主人公は選択制、またユーザーの行動によりストーリーが変わっていくのだ。

それゆえ、1作目はあまりの自由度と共にゲーム部分が制御できず、ゲームバランスの崩壊具合も話題となったが、2、3と時代を経るにゲーム内容が堅実になっていき、その美麗なグラフィックもよりパワーアップし注目が集まった。

イラストレーター小林智美が描く女性ならではの繊細さがあるキャラクターデザインは圧巻だが、1995年冬というSFC後期に発売されたことにより技術の集約が見られた。これらが静止画ではなく戦闘中にぬるぬると動いたのである。

現在も活発に開発が進められているシリーズで、2019年にはなんとリマスター版が発売予定だ。当時の感動を再び思い起こしたい人はぜひチャレンジしてほしい。

ちなみに、他も取り上げるとスクウェアだらけになってしまうので、少しにするがSFC後期のスクウェア作品はどれもCGが頭のおかしいレベルで美しく「聖剣伝説3」「ルドラの秘宝」などもSFCの芸術作品として語り継がれている。特に敵モンスターの造形美に今一度注目していただきたい。

スターオーシャン(1996)

すでに時代がPlayStation発売により3DCGへ傾倒していた、1996年夏に発売されたのがRPG「スターオーシャン」である。トライエースが開発しエニックスが発売された。SF要素があるアクション要素入りRPGというのは当時非常に珍しかった。

48メガのROMとファイナルファンタジー6の2倍を誇り「SFC最後の芸術」とも言われた作品。後にヴァルキリープロファイルシリーズなどを制作するトライエースの処女作でこの出来である。

細かいグラフィックの徹底具合は随一。水辺では「キャラクターが水面に映る」、建物などの高低差を考えた段差のこだわり(特に階段のこだわりはこれと天外魔境2が群を抜いていたと思う)。

当時、ナムコの『テイルズオブファンタジア』がSFCでシリーズ第一作目を1995年12月に発売したが、その路線に幅を持たせたようなシステムとやりこみ要素を兼ね備えており両方買ったというユーザーは多かったであろう。

ただ、やりこみ要素とグラフィックは良いのだがストーリーが明らかに続編前提だったというか、ここで終わり感が半端なくて後に発売されたPSP版(スクウェアとエニックスが合併したことによりスクウェア・エニックスによって発売)ではストーリーが作り直しになっているそうだ。

現在はシリーズ化され、3D CGによる続編が発売されているがそちらのグラフィックもかねがね美麗である。

最後に……

これらSFC時代のCGは「ドット絵」と呼ばれるものであった。1ドット、1ドット、人間の手で色を打っていく日本ならではの点描画とも言ってよいだろう。キャラクターであれば24×24ドット、後期は32×32ドットで立体、つまり陰影や人間らしい動きを持たせなくてはならない。

私はドット絵を自分でも書けるのではないかと方眼紙とパソコンを持ち出し、日々遊んでいたが、何故その色が使われているのか、何故そんなグラデーションなのか…1ドット1ドット、豆粒のような小ささの中に込められた職人の思いに驚嘆し、そして自分の才能のなさを思い知らされたのである。

当時、グラフィックが美しければそれはセールスにおいて大きなアドバンテージであった。そして、今回はライバルハード作品群は取り上げなかったがセガやNECの対抗機種とのハード戦争において最も分かりやすいセールスポイントとなった。

こうした2DCGの「職人技」は当時もてはやされたと同時に、3DCGの時代と共にロストテクノロジーとなっていく。「2Dの職人に用はなし」として3D全盛と共に大量に業界を去ることになったからである。

それが、スマートフォンの普及と共に携帯でゲームをする時代、また、簡単なゲームに注目が集まるようになると「ゲームはグラフィック」というひとつの信仰が失われた。しかし、今、美麗なドット絵職人は帰ってきていない。スマホのゲームのドットはなんか違うのだ。あの時代の熱量が生んだバブル的な熱狂、それが2DCGの世界なのかもしれない。

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この記事を書いた人

ZOOREL編集部/黄鳥木竜
慶應義塾大学経済学部、東京大学大学院情報学環教育部で学ぶ。複数のサイトを運営しZOORELでも編集及び寄稿。引きこもりに対して「開けこもり」を自称。毎日、知的好奇心をくすぐる何かを求めて街を徘徊するも現在は自粛中。

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